家を通して暮らしを楽しむ人の、家づくりにまつわる情報を発信。家とライフスタイルの関係性を探り、“好き”が詰まった住まい方を紹介します。
今回は、建築デザイナーの井手しのぶさん宅を訪問。
節目やライフステージに応じて、都度住居を住み変えてきたという井手さん。鎌倉の海を見渡す丘の上に構えた現在の自宅は通算7軒目。建築デザイナーになってから購入した3軒目以降は自身で設計・デザインを手掛けてきた。
建築家としてのキャリアやノウハウから導き出されるこだわりはもちろん、他に類を見ないほど住居を移り住んできた経験から得た家づくりのポイントなどを聞いた。
家族の形態や仕事などで住み変えてきた7つの住居
井手さんの建築デザイナーとしての始まりは30代の頃。当時の旦那さんの実家の家業が経営不振に陥る。経済的な困窮で当時の愛車のボルボを手放すなどなりふり構えない状況に。そんな折に転機が訪れる。
「当時住んでいた3軒目の家が初めて自分でデザインした鵠沼の戸建て。1,2軒目と建て売りや建築条件付きの家で自分好みのデザインじゃなかったんですよね。3軒目は無垢材の床、漆喰の壁で仕上げた自然素材の家にしたところ、近所の方から『同じような家を建ててほしい』と声をかけられたのが今の仕事の始まりです」
この時、未経験ながらガーデンデザイナーとしてノウハウを生かして空間デザインを手掛けた家が評判を呼び、「パパスホーム」を設立。
その後、独学で空間設計を学び、鎌倉・湘南地方を中心に、当時目新しかった自然素材を使用した住宅を多く手掛け現在に至る。
丘に佇む“終の住処” ル・コルビュジエの代表作をイメージ
“終の住処”と称する現在の自宅は、鎌倉の海を見渡す丘の上に位置する平屋建て。木々の生い茂る、車が通れないほどの細道を抜けた先に自宅を構える井手さん。
様々な土地でライフステージや家族形態に合わせて数年住んでは売却。資金を上手く作りながら現在の自宅で7軒目だという。
「これまで色んな土地に住んできましたが、このロケーションと家がベストだと感じています」
現在の家のイメージは近代建築の巨匠ル・コルビュジエが両親のために建てたスイス・レマン湖畔の「小さな家」。
庭へと繋がる大きなピクチャーウィンドウや、そこから見える鎌倉の海など環境と家が自然と一体化し地面から生えているような家がコンセプトだ。
またこの海が見える土地もネットで偶然見つけた場所。駅から車で十数分。丘の上へと続く坂をしばらく登った先にある細道の奥に位置する。
「土地は買い手がつかず地価が下がったタイミングで偶然見つけた場所。丘の上で周りにはお店もないけど、私は歩くのが好きだし、人ごみも苦手だから何も苦じゃなかったです」
食品や日用品などはネットスーパー、生鮮品に関しては週に一度レンバイ(鎌倉市農協連即売所)を利用しているため、移動の負担も少なく毎日に不自由を感じず生活している。
自然溢れるこの場所は愛犬小太郎くんと愛猫のぶちゃさん、トラくんにとっても今までにないリラックスできる環境だ。
運命に導かれた2人の出会い
現在のお家では、小太郎くんと同種のフレンチブルドッグの昌夫くんが3年前まで暮らしていた。
先代犬の昌夫くんが脳腫瘍で亡くなった時、一時期周囲が心配するほど目に見えて塞ぎ込んでしまった井出さん。ある日出会った小太郎くんの誕生日が同じだった為、どこか運命のようなものを感じた井手さん。
「昌夫とは生まれ変わってまた会えると信じてました。初めて小太郎を見た時も、おとなしい性格が昌夫そっくりだったから絶対この子だって」
導かれるように迎え入れた小太郎くん。いざお家にやってくると当初のおとなしい性格から一変し、誰にでも愛想を振り撒く”ワン”ぱくな男の子に成長した。
お話し中も取材陣の膝に乗ったりお部屋や庭を駆け回るなど元気いっぱい。気の向くままの小太郎君に時に振り回されながら過ごす毎日は、昌夫くんを亡くして落ち込む暇を少しづつ減らしていった。
新建材を使用した家に住んでいた時、当時一緒に暮らしていたワンちゃんを病気で亡くした。
「まだ新建材に含まれる防腐剤や防虫剤などの化学物質が問題視されていなかった頃です。明確な原因だとは言えないですが、それを気に建材に配慮した自然素材中心の家づくりになりました」
90歳まで生きる家 マネープランを見据えた生活
これまで住み変えては手放してで上手く資金を作りながら移り住んできた井手さん。今回の家のこだわりは徹底したコストダウンにある。
仕上げ材も節約し、できる限り自身やお付き合いのある職人さんの手を借りてコストを抑えている。元々荒地だった土地を開墾して一から整備。当初は土地の開墾も人力で行うとしたほど。
「前の家を売り払ってローン返済したときに手元に残るお金を元手に土地と家を購入しました。何歳まで働いて月々いくら必要かを算出して、90歳まで生きることを念頭に置いてコストカットを徹底しましたね」
現在は生活動線を考えアイランドキッチンに変更したキッチンも、元々は住宅展示会で使われていたI型のシステムキッチンを採用してコストダウン。シンクの側面は自ら大谷石をDIYしているのもポイント。
時には理想の家具をDIYすることも。
理想のソファが市販で見つからなかったため、元々ベッドフレームだったものに、座面と背もたれにクッションを並べて全体にリネンの生地を縫いつけお手製のソファを作り上げた。
これまで住んできた家には、比較的自由にお金を使ってきたが、現在自宅で仕事し、一人で暮らす分にはコストカットした現在の小さな自宅で何不自由ないという井手さん。6軒の家を住み変え、年を重ねると共に今本当に自分に必要なものが分かってきたという。
現在のご自宅は数軒のご近所だけで車の通りも少なく小太郎くんやトラちゃん、ぶちゃさんが自由に家と外を行き来し、リラックスして暮らせる環境。
ただ、自然豊かな環境故に掃除は欠かせない。「掃除が嫌い」だという本人の意向も素材選びや家づくりに反映済み。モルタルの床はサッと箒で掃けば綺麗になり、これまで窓の多い家に住んできた経験から特徴的な大きな窓以外は勝手口のドアくらいで、汚れる箇所もなるべく減らすことで労力のかかる箇所を軽減。
生活面での手間(コスト)も削減しているのが井手さんらしいポイント。また、以前のお家よりもコンパクトな平米数で、インテリアも服や雑貨も限りなく厳選。
物もなるべく減らし収納家具も寝室に集約している故、整理整頓も気軽になったという。
様々な家族形態、土地で暮らし年を重ねてきたからこそ、心身共に無理なく長く暮らせる居心地の良い環境を作り上げた。
理想の家
この土地に住み始めて約10年。一時はリタイアも考えたがこれまでに携わった家のリフォームやリノベーションなどのほかに新規で案件が舞い込んでくるうちは仕事を続けるという。
引っ越す前は長野・那須や静岡・熱海のような場所も関心があったという。
「私にとって家が一番落ち着くスペース。周囲の環境も含めて気に入った場所に住みたいし何かを我慢して住み続けるなんてありえない。今はここが気に入っているけど自分や環境の変化でもしかしたら住み家を変えるかもしれません。」
また現在は、和風の家に興味があるそう。
「和風づくりの家は光の陰影が綺麗に表れるんですよね。年を重ねてくるとそういった雰囲気が自分には合っていて。窓際に障子を入れようしたんですが今より15-20cmほどリビング側に迫り出してくるみたいで。圧迫感を感じそうなのでちょっと悩んでいます」
今はスペインの旅行中に訪れたカフェ併設の本屋さんで見たようなアトリエを庭に作ろうと模索中。お話を進めていくうちに「ここをもっとこうしたいああしたい」とアイデアが止まらない様子の井手さん。ワクワクしながら理想の住宅像を話す様相は、とても“終の住処”と称する家に住んでいる人とは思えない。
一般的には家は“人生で一番大きな買い物”。つまりは1軒目ないしは2軒目の家が終の住処だというのが一般的な認識だろう。
しかし、井手さんのようにライフステージや環境の変化でも家を住み変えていけば良いという考えはとても素敵かつ目から鱗なアイデア。建築家としての経験、積み重ねてきた人生とともに他に類を見ないほど住み替えてきた住居での暮らし。
カフェやオフィスを併設した住宅や別荘のように大きな洋館などを経て、辿り着いた現在の自分だけの小さな家。
人生に合わせた家づくりを楽しむ井手さん。7軒目を“終の住処”と称し、この先を見据える一方、胸を高鳴らせて話す様はまだまだ軒数を重ねる予感も感じさせる。
“終”を迎えるその時まで、井手さんの終わりのない家の探求は続く。
STAFF
[Text]
kohei kawai