独自の考えや個性をもつ人に「人生」と「暮らし」の二軸からの深掘りをしたインタビュー「FIND UNSTANDARD」。
世間のスタンダードからは少し離れ、これまでにない価値観に触れることで、自分自身のアンスタンダードを見つけよう。
まるで花器になったように、色とりどりの花が頭部を覆う。
花の色、形、そしてその人の表情を含め、世界にただひとつしかない作品。この「花人間 -HANANINGEN-」を手掛けるのは、フラワーアーティスト清野 光さん。
音楽の世界に没頭していた10代、花に惹かれて裸一貫で海外へ。地元・北海道にお店を構えた20代。
そして新たな挑戦を続ける今。
アンスタンダードな人生を歩む、清野さんの想いや考えに触れてみよう。
パンクロックに没頭した10代
自分を表すことばのひとつとして「クリエイティブ」を選んだ清野さん。
物事を観察し、想像し、カタチにする性は、幼き日の体験も影響しているかもしれない。
「両親が共働きだったので、1980年代のグラミー賞のビデオテープを見て留守番してたんですよね。洋画2本とそれしか家になくてずっと見ていたら、いつの間にかマイケル・ジャクソンやシンディ・ローパーが好きになっちゃったんです」
音楽を聴くうちに、自然と作詞・作曲をするようになっていき、高校生のときにはパンクロックのバンドを結成。札幌のZepp(ライブハウス)でライブをするほど人気のバンドになった。
「パンクロックは、その頃『何かを変えたい、けどできない』という当時抱えていた感情を表現する術でした。今では考えられないほど荒れた生活をして、ネガティブな言葉で歌詞を書いて。でも頭の中で描いたものを形にするということは、今と変わらないですね」
しかし、音楽に没頭する毎日の中で次第に心を病んでいってしまった。人に会わず、家からほとんど出ない生活を1年ほど送っていたある日、公園で見かけたのは “木に話しかける” おじさん。
「何気なく見ているうちに、あの人は会話するほど、木を慈しめる人なのかもしれないと思えてきて。そしたらだんだん木や花が気になりだして、自分も自然に携わる仕事ができたら、素敵な心の持ち主になれるんじゃないかって」
花や植物に興味を持ち、フラワーアレンジメントの教室に通い始めた清野さん。
講師から勧められた本に、世界中のフラワーデザイナーの作品が掲載されていた。本気で花に向かい合うアーティストのエネルギーに触れ、フラワーデザイナーへの道に進もうとエンジンがかかった。
そんな矢先、東日本大震災が起きた。
「震災後、テレビから聞こえてくるのは、『誰々の発言がおかしい』と互いを蹴落とし合うような言葉ばかり。なぜ地震が起きたかを説明し、これからどうすればいいかを未来を考える大人がいないことにショックを受けました。元々持っていた反骨精神も湧き上がったのかもしれません。もっと早く自然への理解を深め、メッセージを届けられる人にならないとという想いが強くなりました」
震災の2カ月後にはカナダに渡り、ファッションプロデューサーの元で働くことに。
「知識も経歴もない僕が、花屋をやりたい、フラワーデザイナーになりたいと言っても、誰も話を聞いてくれません。だから海外で実績を積むのが近道だろうと考えて、無鉄砲にも手持ち30万で、ネットでコンタクトがとれたファッションプロデューサーに会いに行ったんです」
たどり着いたのは「花を愛する国を作りたい」
すさまじい行動力で、フラワーデザイナーとして一歩を歩み始めた清野さん。
最初に任されたのは、ハイブランドのパーティーのプロデュースだった。右も左もわからない中でも必死で取り組んでいたが、清野さんに向けられたのはプロとしての自覚を求める厳しい言葉だった。
「『音楽はどうする?』って聞かれて、突発的に『わかんない』って言っちゃったんですよね。そしたら『デザイナーとは言わない方がいい』と怒られて。すべてを “デザイン” する引き出しがないと必要とされないないんだとショックでした。そこからはイエスマンになって、DJからカメラマン、フィッティング、ヘアデザインまで何でもやりました」
さらにその1年後には、仕事と並行しながらバンクーバーで花屋の店長として働くことに。
「日本みたいにライセンスで優秀さが図られるわけじゃないから、資格より自己PRが重視されるんですよ。例えば『自分は才能のあるバリスタで連日何十人も来店した』とか、『スーパーのレジで何分間のうちに何人さばける』とか。みんなオーバー気味にセルフプロデュースをするんです(笑)。だから僕も天才的な腕を持つフラワーデザイナーですって書きました」
言葉だけでなく、丁寧で繊細なアレンジメント技術は多くのお客様に喜ばれ、注目を浴びるようになった。
しかし、カナダへ渡ってからおよそ2年で帰国。北海道に花屋「GANON FLORIST(ガノン フローリスト)」をオープンさせた。
意気込んで花屋をオープンしたものの、待っていたのは4カ月連続の赤字という結果。
カナダでは、記念日はもちろんのこと、バレンタインやクリスマスには行列ができるほど花屋が繁盛する。しかし日本には、カナダほど花を買うという文化が根付いていないということに清野さんは気づいた。
「日本で花屋をやるなら、葬儀屋や結婚式場と提携しないとやっていけないよと周りの人に言われて、異業種交流会に行くように勧められました。自分が目指す姿とは違うのにとモヤモヤしましたね」
そこから清野さんはもう一度、会社の理念であるグランドデザインを考え直し、「自分の目指すべき姿」を見つめ直したという。
「そこで出てきたのが、『花を愛する国を作りたい』という言葉です。花って枯れてしまうし、生活に必要不可欠なものでもない。だから戦争がある国にはお花屋さんがないんですよ。笑って花を贈れる環境があるのは、豊かさの象徴なんです。その豊かさの象徴である花屋さんを、世の中に増やすことが僕の行く道だと再確認することができました」
そこからカナダで得た、ファッションや撮影の知識を活かして始めたのが「HANANINGEN」。
お客様に好きな花を選んでもらい、そこから想像を膨らませて、その人自身をアレンジメントする。
噂が噂を呼び、3カ月間で1000人待ちの状態に。
さらに海外でも活動の場を広げようと自らギャラリーを借りてショーを行い、その結果、有名百貨店のエントランスの装飾や、ハイブランドのショーなど「フラワーアーティスト・清野 光」として多くの指名を受けることとなった。
自分の才能の見つけ方
清野さんの活躍は、まるで絵に描いたような成功体験に見えるかもしれない。しかし、根本には「自分の才能を見つけて動く」という清野流のメソッドがある。
「僕の人生の中で一番多い動詞が『つくる』。音楽をつくる、デザインをつくる、空間をつくる。僕はつくることに関しては得意です。そこに音楽やファッション、建築と、好きなものをくっつけていく。自分の才能がわかっていると、『よし、やってみよう』と決めたときに、身体が勝手に動くんです」
しかし、自分の才能が見つけられないときはどうすればよいのだろうか。
「他人の行動を見ていてストレスを感じることってありますよね。例えば掃除が下手な人を見て、ストレスを感じるとか。それって、その人以上のことができるからストレスを感じるんですよ。それと、SNSを見て探すのもいいかもしれません。今はAIでその人に合うものが表示されるから、自分が何が好きで、どんなことに興味があるのかを自己分析することができます」
清野さんは自分の才能を突き詰めていくことで、花とどのように向き合うかも整理されてきたのだそう。
「依頼されてつくる『デザイン』と自分の発想でつくる『アート』は、全く別の思考で向き合っています。デザインをつくるときは、素直じゃないといけない。例えばアウトドアブランドとオートクチュールのブランドから依頼があったときに、自我を出すよりもブランドが求める一等賞をつくることが大切ですよね」
「逆にアートをつくるときは、世界で一番きれいなものが脳にインプットされていて、それをもとにつくっているという感覚です。例えばゴシック建築などの幾何学の世界。黄金比率にもとづいてつくられている美しさを僕は花で表現しているんです。だからセンスというより、知識をもとにつくっているといった方が正しいかもしれません」
まずは自分の才能が何かを見つけてみる。そこからその才能を分析し、花で表現していく。
それが清野さんのアンスタンダードな人生の歩み方なのかもしれない。
世界中が花にあふれる未来を描く
コロナ禍には、「ロスフラワー」の取り組みをスタート。
多くの結婚式やイベントが中止に追い込まれた、大量の植物や花が廃棄されてしまう自体に。そこで清野さんは行き場がなくなった花を全てドライフラワーにして、オブジェを制作した。
その取り組みは現在も続いており、フラワーアレンジメントの際に落とした花びらや葉を使ったアート作品を制作している。
そして2023年11月には、ギャラリーを兼ね備えた施設として、本店をリニューアルオープン。
もっと多くの人が花に触れ合えるようにと、活動を続けている。
今後は北海道を「自然と人の共存するまち」としてブランディングしていきたいとのこと。
「北海道は食の町というイメージがありますが、春夏秋冬によって変化する自然の美しさも大きな魅力の一つです。例えば北欧のように、自然と人が融合し、そこから生まれるデザインを発信することが、僕の役割のひとつだと考えています」
最近ではこうした清野さんの多岐にわたる活動を知り、「花に興味を持つようになった」「自分もフローリストになりたいと思った」という声をきくことも増えたそうだ。
「震災の影響から自然と共存する世界を作りたいという想いを持ち活動してきましたが、自分のしてきたことは人に夢を与えられるものでもあったんだなと思いました。だからこれからも『花屋ってかっこいい』と思ってもらえるような活動をし続けていきたいですね」
注意深く自分を観察することで、まだ見えていない才能に気づくことの大切さを教えてくれた清野さんの言葉。
自分との対話を深め、得意なこと、好きなものに気づいた時、あなたらしい未来を描くヒントが見えてくるかもしれない。
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STAFF
[Text]
YUKARI MIKAMI