独自の考えや個性をもつ人に「人生」と「暮らし」の二軸からの深掘りをしたインタビュー「FIND UNSTANDARD」。
世間のスタンダードからは少し離れ、これまでにない価値観に触れることで、自分自身のアンスタンダードを見つけよう。
明治時代から続く老舗の足袋屋(株)玉井商店の三代目社長を務める、玉井敬祐さん。
足袋の需要の低迷を受けながら、伝統を守りながらも大胆な行動力と独自の目線で時代を切り拓いてきた。
130年の歴史をもつ玉井商店は、今、人々に新しさを提案するタイミングを迎えている。
玉井商店の伝統から発信される新たな文化は、きっとこれから私たちを驚かせてくれるはず。
五人兄姉の末っ子が足袋屋の道へ
作業場のドアを開けると何台ものミシンの音が重なり合う。
「このミシンはもう製造している会社がないんです。だから部品が壊れたらもう交換することさえ叶わない」
整然と並んだミシンからは規則的な音が絶えず鳴り響いている。
創業130年を誇る足袋屋玉井商店では、熟練の職人が日々、手作業で足袋づくりに精を出す。
「廃業した足袋屋があればミシンを譲っていただいて、そうやってなんとかやっているんです」
(株)玉井商店の三代目代表、玉井敬祐さんは柔らかな笑顔で工場を見渡した。
足袋は工程ごとにミシンを変える必要があり、特につま先の部分を縫うのは熟練の技術と特殊なミシンが必要とされる。
斜陽産業と言われる足袋業界。足袋屋と呼ばれる会社はかつての繁栄の跡も虚しく、現在国内で玉井商店を含め、5社程度にとどまっている。
足袋屋に入社したのは大学3年生、今から50年以上前のこと。
五人兄姉の末っ子だった玉井さんが大学へ進学することも、通うことも快く思わなかった父親が半ば強引に足袋屋の道へ引きこんだ。
「父が進学に反対していたことは分かっていたので、いつ辞めさせられるかと心配で。だから最初の2年で必要な単位をすべて取りました」
ところが、玉井商店に入社して1年が経とうとしたころ、玉井さんが任されたのは足袋ではなく靴下だった。
「もう当時すでに足袋は衰退していくものと言われていて、足袋ではなく靴下をやるようにと父の右腕だった番頭さんから言われたんです。けれど、そのときから、靴下はやるけど足袋は絶対にやめない、と心に決めていました」
逆境を味方に時代をくぐり抜ける
時代が着物から洋装にシフトする中、足袋業界には厳しい側面が訪れた。
早々に靴下業界に参入したことにより、会社の危機は免れたものの、業界での風当たりは厳しいものだった。
「足袋屋が靴下なんか売るな、と言われてどこの工場も靴下を作らせてくれないんですよ。原料を売ってもらうことさえできない」
靴下業界から厳しい洗礼を受けた玉井さんは、大胆な舵を取る。
「日本で作ることができないのなら海外に行けばいい、と韓国の工場を探したんです」
今でこそ決して少なくない海外製造だが、当時では随分と珍しいことだった。以降、玉井商店ではタイやベトナムなど海外工場での製造ルートを順調に確保していく。
「こんなに安く作れるんやと驚きでしたね。海外での靴下製造が今の会社の礎を築いた。今となっては原料を売ってくれなくてよかったなと(笑)」
その後も地方の問屋が大手量販店に押されて衰退するなど、数多の難所を迎えるが、先手を打ちながら飛び石のように荒波を乗り越えてきた。
「もう、勘としか言いようがない。なぜと聞かれても自分でも分かりません。少しでも疑問を感じたら新しいルートを探す。社内からは『社長は気でも狂ったのか』と言われることもありました」
製造から小売りまでの販売ルートはこの50年で大きな変革を遂げている。その激動の時代を生き残ることができたのは、ほんの一握りだ。
「生き物なんですよ、流通っていうのは」
足袋を守り抜く決意
競争の激しい時代の中で、玉井商店は売り上げが低迷する足袋屋から、業界では十本の指に入る靴下メーカーに成長した。
玉井商店の売り上げは靴下が支え、やがて社内で足袋のことを口にする人間はいなくなっていた。
「だけど、私は足袋を絶対に手放したくなかった。どれだけ靴下が売れようと、足袋をやめたくなかったんです」
穏やかな口調はそのままに、語気に力がこもる。
「誰も社内で足袋に興味を示さなかった。靴下が売れてるのになんで足袋なんかやるんや、と思われてました」
だが、その一方で玉井さんの視線は足袋業界全体を見つめていた。
「父の代から取引のあったキントキという製造工場が廃業寸前だと知って、資金援助をさせてもらいました。技術と設備を残すためです」
キントキは江戸時代から続く足袋の製造も行う卸問屋。倉庫には「文久二年」の文字が刻まれている。現在、玉井商店で扱う国内製造の足袋のほとんどは、このキントキで作られている。
「廃業してしまってはそのミシンは終わりです。足袋の市場がこれ以上広がることはないですから」
このままでは足袋は衰退し、いつしか設備も技術も失われてしまう。その未来を受け止めたからこそ、描きたい未来がそこにあった。
靴下製造のノウハウが130年の伝統と交錯する
「私はね、夢は絶対に叶うと思っているんです」
ゆっくりとそう口を開くと、玉井さんはにっこり微笑んだ。
「いや、別に夢がかなったというわけじゃないですよ。5年先か、10年先か分からない。叶うと思っています」
大きな成功を掴んだかのように見える玉井さんの見つめる先にはまだ大きな夢がある。
それは、足袋にまた光が当たること。
「今は足袋に需要なんてないですから、その需要を我々が作っていかないといけない。足袋は面白い、足袋屋は面白い、そういうことをこれからどんどん発信していかないといけないんです」
思いもかけない足袋の魅力に玉井さん自身が気づかされたのは、数年前、知人に誘われて参加したパリの物産展での出来事だった。
「足袋なんてフランスで誰が……と思っていたんですが、実際は大違いだった。持っていったサンプル100足が取り合いになるほど、ものすごい反響だったんです」
着物文化を持たない人々が足袋に興味を持ったことに驚いた玉井さんは、足袋のまだ見ぬ可能性について考えるようになっていった。
現在、玉井商店では、ベロア素材や、合皮素材、豊富なカラーバリエーションの足袋など和装以外にも合う足袋の展開を広げている。
「私自身もジーンズに足袋、なんてスタイルもよくするんですよ」
さらに、注目を集めているのが足袋モチーフのソックスだ。
コハゼ(足袋についている足首で留める金具のようなもの)をとめる「掛け糸」がデザインとして施され、粋な遊び心と足袋屋の伝統がひっそりと息づいている。
見た目だけではなく、履き心地にもとことんこだわり、日常使いとしての評判も上々だ。
「まだ叶ってませんよ、夢は。まだ夢の途中です」
守り抜いた130年の証し、屋号と商紋
ネット通販などでも人気商品となった足袋ソックス、 “ TABI ” シリーズの甲の部分には、玉井商店の印が編みこまれている。
「昔はみんな屋号というものがあって、我々は『ヤマエ』という屋号だったんです。そのときの商紋がこれなんです」
商紋とは今で言うロゴのようなもの。130年使い続けてきた商紋は足袋屋、玉井商店の伝統の証でもある。
「一時期はなにかにつけ古臭いと言われました。社名だって何度変えろと言われたか(笑)横文字のなんとかインダストリーとかね、そういうのに変えたら、と。『商店なんてイメージが悪い』なんて言われたこともありましたよ」
当時、古い屋号を脱ぎ捨て国際的に通用する社名へと変更する企業は珍しくなく、「商店」とつく社名を揶揄するような声が聞こえていたという。
「だけどね、絶対に変えたくなかった。もう意地。そりゃあ、横文字の社名にも憧れましたよ。でも人に言われてやんの嫌ですから(笑)。それに横文字の会社が足袋屋やっても面白くないでしょ」
意地で守り抜いた商紋と社名は、気づけば会社の伝統を表す強みになった。時代とともに呼吸を繰り返した重みが “ 玉井商店 ” の四文字に宿っている。
「会社が小さいから馬鹿にされるんだと思って、頑張って会社を大きくしたら誰も何も言わなくなりました。じっと耐えていたら、この名前がちゃんと顔になった。今では新入社員は『この社名がいい』と言ってくれます」
時代を読む柔軟さと、伝統を決して手放さない確固たるプライドを折り重ね、世の中へ新しい価値観を提案し続ける、それが今日の玉井商店の姿だ。
伝統を繋ぐこと。文化を届ける
「この名刺、実は入社してからずっと同じものを使っているんですよ。変わったのは肩書だけです」
縦書きの名刺にはカラフルなデザインも、ポップなロゴも描かれてはいない。
そんな、変わらないものを大切にする姿勢は、日常のもの選びにも表れている。
「京都の小嶋商店ってご存じですか。星野リゾートの照明にも使われている照明を作っているんですが、実は京都の老舗の提灯屋なんですよ。この照明は小嶋商店のひとつのコンセプトなんです」
他にも、老舗の布屋が展開する飯田傘店の名前が挙がるなど、玉井社長の視線の先には伝統と現代を繋ぐ懸け橋のような商品がある。
「そんなふうに、捨て去られるものが見直されるような、足袋の文化や足袋屋がベースになったものがなにかできないかといつも思っています。玉井商店が、足袋屋が発信する、足袋の文化としてなにかを売りたい。一朝一夕にはいきませんが」
新たな文化、新たな価値の創造によって、誰も想像しなかった足袋の魅力が見出されていくこともあるだろう。
その証拠に、玉井商店は今、各方面から足袋屋として注目を集め始めている。
「今は胸を張って、足袋屋だと言える。続けてきてよかった。 まずは履いてみてください。履いて、ご自身がいつ足袋を履くのか、それを一緒に考えていただけたら」
玉井さんの足元には雪駄に足袋。
静かに息づく伝統が、力強く未来を照らし続けていく。

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[Text]
SAE HANE