独自の考えや個性をもつ人に「人生」と「暮らし」の二軸からの深掘りをしたインタビュー「FIND UNSTANDARD」。
世間のスタンダードからは少し離れ、これまでにない価値観に触れることで、自分自身のアンスタンダードを見つけよう。
長野県諏訪市で1500年以上続く歴史的家系をルーツに持つ守矢さん。
米国文化が色濃い神奈川県座間市で生まれ育ち、ファッションや音楽など時代の潮流と職をともにしてきた。
2011年の震災前後で人生の岐路に立たされ変わった仕事や人生に対する価値観、そこで見出した自身のルーツを辿る諏訪と東京の2拠点生活などこれまでの人生の軌跡を振り返る。
祖先は神話の神 座間で見たアメリカとの縁
守矢さんは“由緒正しい”という言葉では、形容し得ないほど長い歴史を持つ家系に生を受ける。
守矢姓は長野県諏訪市にルーツを持ち建御名方神(タケミ・ナカタノカミ)を祭る諏訪大社上社の神長官を長きに渡り務めてきた社家。
古事記以前から存在する諏訪の土着神の洩矢神(モレヤノカミ)が祖先にあたり、その系譜は縄文時代後期まで遡るという。
「父親が6人兄弟の4番目でずっと諏訪に住む理由もなかったのか、早くに上京して働いていたので。そこで母と出会って結婚し、座間に家を構えたんです」
幼少期を過ごした座間は多分に今を形成する要因の一つになった。
諏訪にルーツを持ちながら、神奈川県座間市で生まれ育った守矢さん。アメリカの街並みが随所に広がる街並みは、伝統と歴史が息づく諏訪とは全く真逆のスタイルとも言える。
しかし、座間での暮らしが現在のステンシルアーティストとしてのスタイルに影響を与えているという。
「僕の通っていた小学校の近くに座間基地がありました。また、よく遊んでいた神社の柵越しに見える基地内のTHE アメリカな風景をずっと眺めていて、子どもながらに目に映る異国の文化に憧れを抱いたのを憶えています。立ち入り禁止の標識などもステンシルで作られていて、アーティスト活動を始めた時も潜在的にアメリカンなモチーフを選んでいましたね」
カリフォルニア州管轄の座間基地一帯は、基地関係者の衣食住を賄う日本から独立した“街”になっており、道路の交通標識から家の造り、そして法律までもアメリカ合衆国のそれらに則っている。
刻み込まれたDNA ルーツと繋がるブランド
デザインの専門学校を卒業後は、カルチャー誌などのエディトリアルを請け負う編集プロダクションなどを経てアーティストのCDジャケットや販促物などを手掛けるアートディレクターとして独立。
2000年代初頭には、当時の時代の後押しもあり、本業の傍ら古着の一点物のTシャツにオリジナルのステンシルを施したブランドILA.(アイラ)を始動し、ステンシルアーティストとしてのキャリアをスタートさせた。
同ブランドや守矢さんの作品にしばしば登場する鹿のモチーフも期せずして自身の家系に由来する。
「昔やっていたブランドは鹿がアイコンだったんですよ。何の気なしにフィーリングで決めたから理由を聞かれても、当時はA BATHING APEが猿なら俺は鹿だろって冗談で流していました。でも僕の祖先は、鹿の首を75頭分神に捧げる御頭祭(おんとうさい)という行事を諏訪大社上社の例大祭として行ってきた歴史があることを後々思い返すんですよね。偶然というより記憶のDNAに刻まれた縁があるんだなって。」
一生続くと思っていた生活 40歳賞味期限切れのキャリア
今から13年前、守矢さんに今へと繋がる転換期が訪れる。
音源のデジタル配信化が普及し、CDジャケットのデザイン依頼が激減、ブランドの契約終了、加えてお父様が認知症を患うなど、守矢さんにとってこれまでの生活を大きく変えざるをえない状況が一気に押し寄せた。
「仮にCD文化が続こうとも、こういう分野のデザインセンスは若い子たちの方が長けているだろうからね。時代のトレンドに合わせた流行り仕事をしていた自分の賞味期限が切れたんだなって思ったね」
この時、自身は40歳を迎えていた。
「40代が一番しんどかったですね。2,30代で培ってきたことを全て全否定されたような気がして。それまでずっと仲間内でやりたいように楽しく過ごしてお金を稼いで。こんな毎日が一生続くと錯覚していた。でも40代になって楽しくない物も抱えて生きていく時期に入ったんだなと」
そんな時期に自分自身を構成する物は何かと振り返り、培ってきたアートの知識やルーツとなる諏訪の伝統、ブランドで制作してきた作品のクラフトマンシップや一点物の魅力などが頭に浮かんだ。
這い上がり続けた10年間 震災で変わった仕事への価値観
時を同じくして、未だ人々の脳裏から離れない未曾有の大地震が東北を襲う。
これまでの平穏や常識を一瞬にして変えてしまったあの日。被災地からの痛ましく耳を塞ぎたくなるような報道が流れる中、多くの人々が少しでも被災地の助けになりたい、何もせずにはいられないと動き出した。
守矢さんもその一人だった。
被災地に赴き、現地の人々を目の前にステンシルのワークショップを行った。交流を通して作品への思いを伝えたり、逆に相手からの生の反応も受け取れる。
過酷な環境に立ちながら、強く生きようとする姿勢に自身が励まされたようだった。
そんなコミュニケーションを通して様々な思いが浮かんだという。
「デザイナーという仕事柄、これまで同業者やアーティストなど限られた人としか接点が持てなかったんですよね。ワークショップでは、ステンシルアートを通して多くの人と直接繋がれました。これまでは誰とも知らない人が手にする量産品をデザインしてきましたけど、このことをきっかけに、目の前の一人ひとりの顔を見ながら作品を届けたいと強く感じました」
被災地での活動を機に、全国でワークショップを開催。家族や震災、仕事や環境の変化など様々なことを消化し、一からまた一歩一歩歩みを確かめながら進んできた。
「それから今日までの10年間、這い上がるための毎日を過ごしてきました。まさに一度死んで生まれ変わったような感覚です。それくらいの経験がないと、僕は次のフェーズにはいけなかったですね」
この10年間をきっかけに自分のルーツを作品として表現することや自分自身と向き合うことができるようになってきたという守矢さん。
いち早くトレンドをキャッチしてどう発信していくのかを主戦場としてきたが、震災や様々な要因を経た結果、自分の根底にあるルーツをアウトプットしていくことが時代の潮流に流されないことだと気づいた。
酸いも甘いも味わってきた守矢さんだからこそ、紡がれる言葉は柔らかくも重々しい。
アートを生活に 思い、祈り、繋いでいく意志
今春、UNSTANDARDは”NEW OLD AMERICAN”をテーマにしたNONDESIGN NOAという商品住宅をリリースした。
今回、守矢さんにはその室内の壁やドアなどにオリジナルアートを施していただいた。
「家の中には、他にも壁や床に飾ってあるアートがたくさんありますが、それらは時々の気分で自由に変えられますよね。でも僕が今回担当させてもらった物は壁に直接作品を施す作品だったので、やっぱり緊張しましたよ。それこそ一発で決めなきゃっていうのと、家主の方にとってもしかしたら一生を共に作品になるんだと思うと余計にね」
ファミリーで生活する上で元気になる、生きる活力になるイメージを込めてデザインしたという今回の作品。
特に玄関は一日が動き出す第一歩となる場所。ポップでポジティブなイメージを落とし込んだ。
偶然すらも糧に 貴方を作る “ルーツ”を見つけて
これまで軸にしてきた東京での生活。築いてきたキャリアもこの土地の文化や環境が要因する部分も少なくない。
震災や環境の変化で自身を見つめ直した時、やはりそこにはルーツとなる諏訪の存在が大きかった。
「ぼんやり諏訪にアトリエが欲しいとは思っていたんですよね。大学生の子どもがいるから、卒業するタイミングを見てゆっくり決めていければなぁぐらいに考えていました」
そんな折に、縁があって出会った物件は偶然にも守矢さんのお父様が生まれ育った家の真向かい。築150年の物件で周辺には祖先の墓や神社もあり、偶然以上のまるで何かに導かれたかのような見えないエネルギーを感じる。
「2拠点で活動し始めてから物事を俯瞰で見れるようになりましたね。ずっと東京にいると情報の新鮮さや多さも普通だと思いがちですけど、でも当たり前じゃないんですよね。2軸だからこそ気付ける、そこにある良さを再認識しています」
時代の潮流やトレンドに流されず、出自やルーツも含めた自分自身と向き合うことが確固たる自己を形成する。酸いも甘いも味わってきた守矢さんだからこそ、紡がれる言葉は柔らかくも重々しい。
しかし、なにも正しい由緒や家柄だけが “ルーツ” を指すのではない。自分がこれまで歩んできた人生、悩みや悲しみに潰されそうになった時、心踊る喜びや嬉しさに包まれた時、記憶に刻み込まれた全ての感情や経験もきっとそうなのだ。
これから出会う人や物、感情もこれからの貴方を作る “ルーツ”になる。偶然さえも信じて、心が導かれる方へ進むことがあなたの新しい道を開くかもしれない。
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[Text]
kohei kawai